こいしづか





 古代より引き継がれ開発された道は、いずれも山腹上部を通過していたようである。その理由として、当時の通行人にとっては、高い場所での歩行が目標物をより正確に求めるのに適していたからであると考えられる。
 福岡町の中世期の飛騨路は、現在の中津川市苗木方面より発し、福岡区小池地区小池井戸あたりを通過し、さらに植苗木地区広恵寺山麓を通り抜け、小石塚を経て、下野区田代川下流へと出ていた。そして、田瀬区田瀬坂を進んで宮脇あたりを通過し、付知方面へ向かっていた。
 小石を供えて、旅の道中の安全を願ったところが小石塚である。また、小石塚周辺は先史遺跡で、やじりが発見されており、小石塚遺跡と呼ばれ岐阜県史に掲載されている。

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小石塚 的場

道標 小石塚堤

 写真の石の道標には「左 コエジ 右 坂下」という文字が刻んである。この道標は中世期のものではないが、道標の立っている所は、広恵寺堤の脇を通り小石塚を経て飛騨へと通ずる古道と、坂下へ出て木曽へと通ずる古道の分岐点あたりであっただろう。
 写真の的場は、昔から「まとば」と呼ばれている地名が残る所である。広恵寺城が偲ばれる地名の一つで、写真の石の道標が立つ前方に広がっている。


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