英語版 (English)

 今から約700年前の鎌倉時代から室町時代にかけてのおよそ200年間、植苗木(うえなえぎ)の城ケ根山の山麓には広恵寺城城主館や武家屋敷や広恵寺があった。夕暮れには広恵寺の鐘が遠くまで鳴り響き、満月の光が広恵寺池の水面に輝いていたであろう。
 しかし、明治初期の苗木藩の廃仏毀釈は、広恵寺跡やその周辺及び植苗木の所々に残っていたはずの広恵寺城に関する貴重な文献・文化遺産をほとんど皆無にしてしまった。

Last Update 2023/3/7
いざ、出陣!広恵寺城武者行列!
福岡榊山神社夏祭りにて
1999年7月25日
「広報ふくおか(8月号)より」


No も く じ
 広恵寺城跡と広恵寺堤 (こうえじじょうあととこうえじつつみ)
 広恵寺跡 (こうえじあと)
 広恵寺跡周辺 (こうえじあとしゅうへん)
 飛天王 (とびてんのう) 
 小児塚 (しょうにづか)
 片岡寺跡 (へんこうじあと)
 小石塚 (こいしづか)
 三十三観音 (さんじゅうさんかんのん)
 あとがき
10  ふくおかの方言


リンク集へ戻る


■参考文献等
「植苗木の昭和史」 著者:故 深谷昭次 氏
「広恵寺堤の記録と植苗木の史跡」 著者:故 深谷昭次 氏
「福岡町史 通史編 上巻・下巻」 編纂:福岡町史編纂委員会
「福岡町指定重要文化財の説明用立て看板」 福岡町教育委員会
「各史跡地にある説明用立て看板」


このホームページに関するご意見、ご感想は
Email:wuenaegi@yahoo.co.jp

どうぞよろしくお願いします。


アクセスカウンター アクセスカウンター