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 植苗木の城ケ根山の山麓には広恵寺城城主館や武家屋敷や広恵寺があった。夕暮れには広恵寺の鐘が遠くまで鳴り響き、満月の光が広恵寺池の水面に輝いていたであろう。しかし、明治初期の苗木藩の廃仏毀釈は、広恵寺跡やその周辺及び植苗木の所々に残っていたはずの広恵寺城に関する貴重な文献・文化遺産をほとんど皆無にしてしまった。

 今から約700年前の鎌倉時代から室町時代にかけてのおよそ200年間、岐阜県中津川市福岡植苗木城ケ根山の山麓には、広恵寺城があった。
 城ケ根山頂に砦が築かれ、山麓の平地には城主館武家屋敷広恵寺があった。植苗木は福岡の中心として繁栄していた。

Last Update 2023/11/3
21世紀の初日の出
2001年1月1日7時48分
植苗木にて撮影


No も く じ
 宝匡印塔と五輪塔(ほうきょういんとうとごりんとう
 広恵寺城跡と広恵寺堤(こうえじじょうあととこうえじつつみ
 広恵寺跡(こうえじあと
 広恵寺跡周辺(こうえじあとしゅうへん
 あとがき

 しかし戦国時代に入ると、現在の岐阜県中津川市苗木の高森に広恵寺城は移転された。これが苗木城である。御坂古道記には「植苗木ノ旧名ニ因テ城下ヲ苗木ト呼フ」とある。織田信長はこの苗木城から迎えた娘を養女として育て、武田勝頼に嫁がせ、武田信玄に備えた。
 今でも、植苗木の城ケ根山麓には、宝匡印塔、五輪塔、古井戸、石積み、観音堂、庭池などが残っている。
  植苗木地区は、平成11年の福岡の夏祭りの余興で、広恵寺城をちなんで「広恵寺城武者行列」を行った。
 中日新聞「広報ふくおか」の平成11年8月号にも紹介された。
 福岡に城ケ根山麓という歴史ある貴重な文化遺産がありながら、福岡の者でさえ知る人が少なくなってきていることが残念でならない。
 歴史ある福岡の文化遺産「城ケ根山麓」をホームページ等を通じて紹介し、城ケ根山麓の再興ができることを強く願うものである。


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■参考文献等
「植苗木の昭和史」 著者:故 深谷昭次 氏
「広恵寺堤の記録と植苗木の史跡」 著者:故 深谷昭次 氏
「福岡町史 通史編 上巻・下巻」 編纂:福岡町史編纂委員会
「福岡町指定重要文化財の説明用立て看板」 福岡町教育委員会


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